夏の昼下がり、太陽の日差しを存分に浴びながら、子供たちが水と戯れ遊ぶ日橋川、桧原の山々から流れる大塩川、尾瀬から流れる只見川などが流入し、豊潤な流れとなる阿賀川は、越後山脈を貫流し阿賀野川となり、越後平野へと続く。街はこの阿賀川船運により、会津の代表的な物流拠点として栄えた。
水道の沿革は、昭和34 年浅井戸1 基と集水管により、日橋川からの伏流水を水源として認可を得、昭和37年8月に給水を開始した。その後水量に不足をきたしたため、数度の拡張認可を経て、深井戸により対応をしてきた。
また、喜多方と時を同じくして喜多方地方水道用水供給企業団から受水し、平成19年に既存浄水施設である金川浄水場を廃止した。