街には、押切川、濁川、田付川、姥堂川、そして大塩川の一級河川が流れ、山々に囲まれ、まさに山紫水明の地である。
また、地下水にも恵まれており、市役所の所在地も字御清水東の地名である他、方々に何々清水という地名が多く、その名のとおり昭和30年代後半までは、随所に清水を見かけることができた。
また、浅層地下水が豊富で、それがために水道事業の着手が遅れ、上水道の営業開始は昭和47年と、他の都市と比べて大きく立ち遅れ、地下100mの深井戸から深層地下水を汲み上げて営業をしてきたが、平成4年4月に、日中ダムを水源とする喜多方地方水道用水供給企業団からの用水に全面的に切り替えを行ったことにより日量約7千立方メートル(深井戸5 基)(※3)が遊休施設となっている。
水道の沿革は、昭和34年に吉川簡易水道が湧水を水源に、昭和43年には慶徳簡易水道が浅井戸を水源として給水を始めたが昭和52年に前述の上水道と統合した。
平成4年に日中ダムを水源とする喜多方地方水道用水供給企業団からの受水に全面的に切り替えた。
(※3)現在の喜多方地区への一日の平均配水量は約9千立方メートルである。